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2009年8月23日日曜日

ボスケの週刊田舎暮らしニュースNo.302 ver.1.3

処暑(しょしょ)
広島市安佐北区安佐町“鈴張プチ高原”
上写真2009.08.23 06:24撮影
中写真2009.08.23 06:26撮影
下写真2009.08.23 06:15撮影



今日は二十四節気の一つの“処暑”でした。暑さも峠を越えたということで、これから本格的な秋に近づいて行くことになります。今年は梅雨明けが遅過ぎたため、本当に暑い夏を感じることもなく秋を迎えることになりそうです。今朝起床時の気温は18℃でやや肌寒さを感じるほどでした。朝の散策で外に出ると青い空に雲が棚引いてすっかり秋の景色になっていました(上写真)。田んぼでは全ての稲穂が黄色く色づき、頭を垂れていました(中写真)。すでに田んぼの水は抜かれていました。これから晴天が続けば例年通り来月初旬には稲刈りが出来そうです。それまで台風がやって来ないことを願っています。何しろ風雨によって稲穂が倒伏したり、田んぼが抜かるんでいてはコンバインを使った収穫が難しくなります。幸い今のところでは台風が当地に接近するような情報は入っていません。
お盆前から準備し始めているストーブ用薪はやっと薪棚2基分になりました(下写真)。今朝のように涼しくなるとさらに急がねばなりません。これからしばらくは薪作りがメインの仕事になりそうです。

照葉樹の生命力
広島市安佐北区安佐町“鈴張プチ高原”
上写真2009.08.23 06:20撮影
下写真2009.08.23 06:22撮影


堤の脇の凹地(通称小堤)奥に生えていた幹径30-40cmシラカシの大木を切り倒しました(上写真)。この大木は高さ約1mあたりで直径20cm余りの2本の太枝に分かれしていました。この太枝の切断面上の年輪の数を数えたら30本ありました。このシラカシの樹齢は最低30年ということになりますね。ところで、3年前(2006年)の台風で根こそぎ倒れてイノシシ防護柵を押しつぶしてしまったシラカシの大木(樹齢50年以上ありそうな幹径約50cm、上部の太枝は昨年秋に薪として消費)の幹部分の随所にいつの間にか枝葉が茂っていました。根の部分は持ち上がって地上に出ていたにもかかわらず、この照葉樹のシラカシは生きていたのです(下写真)。その生命力には驚嘆しました。この根こそぎ倒れたシラカシを見て知ったのですが、一般に照葉樹は深根性と直根性が特徴と言われているにもかかわらず、シラカシの根は決して直根性ではなく表層部に集中していること、従って照葉樹の大木でもシラカシに限っては強風によって比較的倒れ易いということが判りました。それは兎も角、シラカシは例え倒伏したとしても、枯れ死するようなことはなく立派に枝葉を出して再生する驚異の生命力を有しているのです。シラカシはこの地域の潜在自然植生のひとつと考えられます。付近一帯に植林されている杉やヒノキにはとてもこのような生命力はありません。

秋の果実3種
広島市安佐北区安佐町“鈴張プチ高原”
上写真2009.08.23 16:47撮影
中写真2009.08.23 16:51撮影
下写真2009.08.23 16:52撮影



裏山に自生しているナツハゼの果実は大粒になって色づき始めていました(上写真)。昨年は10月初旬に収穫を始めています。野生の栗も緑色の毬がひと際大きくなって来たようです(中写真)。野生の栗は裏山の獣たちの貴重な食料になるはずですが、栗林の栗も順調に育っているようです。収穫に備えて、そろそろ下草を刈り払っておかなければなりません。4年前自宅裏に植栽した2種類の柿の木は予想以上に大きく成長し、今年は初めて収穫を楽しめそうです(下写真)。

ー今週の写真ー
山芋の零余子(むかご)


撮影場所:広島市安佐北区安佐町“鈴張プチ高原”
撮影日時:2009.8.20 6:26
カメラ:オリンパス E-1+ZD70-300mmF4-5.6Zoom
撮影データ:ISO感度400 パターン測光 絞り優先露出(F5.0・1/30) 露出補正マイナス0.30 トリミングなし  
コメント:舗装林道脇で見つけた山芋の零余子です。未だ小粒で可愛らしく、それなりに絵になりますが、食べるには早過ぎます。秋も深まって大粒になると食べ頃で、ムカゴご飯にすると美味しいですね。

先週からのSr.ボスケの動向
08月17日(月):歯科治療
08月18日(火):眼科専門動物病院/シラカシ伐採
08月19日(水):シラカシ伐採/薪作り
08月20日(木):田んぼ土手草刈り
08月21日(金):田んぼ土手草刈り/薪原木運搬
08月22日(土):薪原木運搬/薪作り
08月23日(日):裏山下草刈り/HP更新

Sr.ボスケは柴犬が好き! 
小沢さんも柴犬が好きなようですね。
柴犬が好きな人に悪い人はいないと思うのです。